最高裁、夫婦別氏(姓)、再び認めず(弁護士 石橋伸子)

1 再びの合憲判断

 2021年6月24日、地元神戸新聞朝刊、そして日経新聞朝刊にも「夫婦別姓 再び認めず」の大きな文字が躍りました。最高裁は本年6月23日、夫婦が別氏(姓)を名乗ることを認めない民法の規定を2015(平成27)年に引き続き、再び合憲とした決定を出したのです。

 ところが、その理由は、決定書を読んでも肩透かしをくらったような感を受けます。大法廷決定の「理由」欄には、夫婦同氏を定める民法750条が憲法24条に違反するものでないことは当裁判所の判例である(平成27年12月16日大法廷判決)とするだけで、女性の有業率の上昇、選択的夫婦別氏制の導入に賛成する者の割合の増加その他国民の意識の変化などの諸事情を踏まえても同じであるとしました。まさに、木で鼻を括ったようなA4サイズ1頁程度の文章です。

2 違憲の意見

 むしろ、この決定書の読みどころは、違憲の意見(17~49頁)です。弁護士出身で最高裁判事として初めて旧姓を使用した宮崎裕子氏、行政法の著名な学者である宇賀克也氏、弁護士出身の草野耕一氏の3人です。

 このうち、宮崎氏と宇賀氏が「私たちは」として共通の意見として述べた違憲論をご紹介します。憲法論として非常に興味深いものです。以下、長いですがこれでも概要です。

 裁判官宮崎裕子氏、同宇賀克也氏の反対意見。

【結論】夫婦同氏制を定める民法750条、戸籍法74条1号の規定は憲法24条に違反するから、抗告人らの婚姻の届出を受理するよう命ずるべきである。

【理由】

(1)憲法24条1項は、婚姻においても、憲法

 13条・14条1項の趣旨が妥当することを前提とした上で、婚姻の成立と維持について、憲法13条・14条1項の趣旨を具体的に定める規定であり、婚姻をする意思決定に対する不当な国家介入を禁ずる趣旨を含み、国家介入が不当か否かは公共の福祉による制約として正当とされるか否かにより決せられる。

 憲法24条2項は、同条1項を前提としつつ、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚すべきであるとする要請、指針を示すことによって、婚姻及び家族に関する事項に係る法律の制定改廃における立法裁量の限界を画したものである。

 憲法24条1項にいう「夫婦が同等の権利を有する」の「権利」には財産権だけでなく、人格権(人格的利益を含む)も当然含まれるし、憲法上の権利に限定されない。そして、その「権利」について、当該個人が夫であり、妻であるがゆえにその一方のみが享有し他方が享有しないという不平等な扱いを禁じたものである。

 婚姻自体は国家が提供するサービスではなく、両当事者の終生的共同生活を目的とする結合として自生的に成立し一定の方式を伴って社会的に認められた人間の営みであるから、様々な理由から、婚姻の成立について法令によって制約をする必要がある場合はその制約が、婚姻の成立についての自由かつ平等な意思決定を憲法24条1項の趣旨に反して妨げるものではないか否かを検討すべきであり、不当な侵害である場合はその限度で当該制約は違憲無効である。(婚姻・家族に関する事項については法制度の制度設計が重要な意味を持つがそのことによって違憲無効な制約が合憲とされるということにはならない。)

(2)夫婦同氏を婚姻届の受理要件とする戸籍

 法74条1号は、「婚姻は、戸籍法の定めるところにより届け出ることによって、その効力を生ずる」と規定する民法739条1項と併せ考えれば、婚姻をするにあたっての直接の制約である。

(3)氏名に関する人格的利益は、氏名(名前)が有する個人識別機能に由来し、当該個人にとって人格の同定機能を果たす結果、アイデンティティの象徴となり人格の一部になっている。これは憲法13条によって保障されるものであるから、この権利を本人の自由な意思による同意なく法律によって喪失させることは、公共の福祉による制限として正当性があるといえない限り、当該権利に対する不当な侵害である。

 氏に関する人格権の内容は、法制度をまって初めて具体的に捉えられるというものではなく、法制度によって具体的に捉えられるのは、上記人格的利益に対して法制度が課している制約の内容に過ぎない。夫婦同氏を婚姻の成立要件とするという戸籍法と民法の規定によって課されている制約が、合理性があるか、公共の福祉による制限として正当性があるかが問われなければならない。

 婚姻後もそれぞれの人格の象徴である生来の氏名を維持することを希望する者にとっては、夫婦同氏を婚姻成立の要件とすることは、人格的利益の侵害、アイデンティティの喪失を受け入れなければ婚姻をすることができないことを意味することになる。すなわち、夫婦同氏を定める現行の規定は、婚姻をするあたっての自由かつ平等な意思決定を妨げ、憲法24条1項の趣旨に反する制約である。

 そして、この制約は公共の福祉の観点から合理性があり、正当化されるか。平成27年大法廷判決は氏が家族の呼称としての意義を有することを夫婦同氏制の合理性を有する理由とするが、氏が家族の呼称として意義を有するというのは「家」制度が現行憲法の制定とともに廃止されており、憲法上の根拠はない、家族という概念は憲法でも民法でも定義がなく外縁は明確ではなく、多義的であり、夫婦と未婚の子からなる世帯は減少し続けていて、世帯の実態は多様化しており、夫婦と未婚の子からなる世帯のみを家族と捉えて、氏はかかる家族の呼称として意義があるというのは、もはや氏名に関する人格権を否定する合理的根拠とはなり難い。

 平成27年大法廷判決後の事情の変化を考慮すべきである。旧姓使用の拡大は、氏を変更せずに婚姻した者であれば決して置かれることのない不合理で理不尽な状況に置かれ得ることについての社会の認知の拡大を意味しており、国家機関において公的文書を作成する者が、その作成の責任の所在を明らかにすべき作成者の氏名として旧姓を使用することが認められるにいたっており、この旧姓使用の拡大の事実は、むしろ夫婦同氏制の合理性の説明(平成27年大法廷判決は、夫婦が同一の氏を称することは、家族の一員であることを、対外的に公示し、識別する機能を有することに意義を見いだすものであった。)を空疎化し、夫婦同氏制自体の不合理性を浮き彫りにしている。

 日本が批准し公布されている女子差別撤廃条約に基づき、日本国に対して、選択的夫婦別氏制を認めるよう、平成28年には3度目の勧告を受けている。

 夫婦に同氏を強制し婚姻届に単一の氏の記載を義務付ける規定が違憲無効である以上、抗告人らの婚姻届の受理が命じられなければならない。夫婦別氏とする婚姻届が受理されても、戸籍の編製や記載をどうするのかは法改正がなされるまではペンディングにならざるを得ないかもしれないが、当事者は戸籍謄本の交付を請求することができない間は、婚姻届受理証明書を請求することができる。外国においては夫婦同氏を義務付ける制度を採用している国は見当たらないし、平成8年に法制審議会が夫婦同氏制の改正案を答申したことを踏まえると国会が法改正を速やかに実施することが不可能だとは考え難い。

3 裁判所と国会の役割

 以上のとおり、違憲の意見は社会の現実を踏まえていて説得的ですが、多数意見は「この種の制度の在り方は、平成27年大法廷判決の指摘するとおり、国会で論ぜられ、判断されるべき事柄にほかならない」として、再び問題の解決を国会に委ね、憲法判断を回避しました。

 しかし、平成8年に法制審議会が選択的夫婦同氏制の答申を出してから現在まで、一度も審議すらしていないのが、国会の現状です。平成8年当時から自民党議員に根強い反対があるからです。

 制度(法律)が憲法の法意、趣旨に照らして合憲かどうかという論点は、権利を侵害されている者は少数者ですから、多数決原理で動く立法府での議論は馴染まないものですし、ひたすら時間を要するだけで収束は見つけにくいでしょう。裁判所がその責任を引き受けて役割を果たすべきです。

 ドイツでは、1990年発効の民法で夫婦は共通の姓を持つと定められ、夫の姓が家族の姓と規定され、その後、同規定が男女平等に反すると91年に連邦憲法裁判所が判断、93年の民法改正で選択的夫婦別姓制となったとのことです。裁判所のあるべき姿です。

4 「複雑困難訴訟」に関する裁判官の研究会

 先日、最高裁司法研修所が2020年1月に開いた「複雑困難訴訟」に関する裁判官の研究会において、新しい価値観が争点となる場面で裁判官たちの消極姿勢が目立ったという報道がありました(2021.7.10河北新報)。

・LGBTの権利について「旧来の価値観を持つ人たちを全く無視したような判断はできない。」

・「(判断の規範は)その事案に限る形にした方が無難」

・打ち立てた規範が絶対的な基準として捉えられないよう「なるべく明文にしない」

・裁判所の情報収集能力については限界があるとし「不用意な判断は避けた方がいい」

・政治的な問題への評価や判断を避ける「謙抑的な姿勢が重要だ」

・「責任ある国家機関としての観点からすれば謙抑的な立場は基本だ」

 なんと非意欲的、事なかれ主義でしょうか。どこからの批判を恐れているのでしょうか。裁判官たちは一体どこを向いているのでしょうか。権利を侵害された少数者からの批判は聞こえないようです。権利を踏みにじられた者の声に耳を傾けることなく、責任回避のための論理展開に終始しようとするその姿勢は、今回の夫婦別氏制に関する最高裁の合憲判断においても如実に表れています。

 裁判官が批判を恐れ、創造性を発揮することなく、事なかれ判決ばかりを書いていくのであれば、裁判官は要らない、AIでいい、ということになっていくでしょう。事なかれ、は結果的に自分たち自身を失くしていくことになるのではないでしょうか。

5 多様性ということ

 現在、通称使用をしている友人、知人のいない人はいないでしょう。もしも明日、選択的夫婦別氏制が実現し、その通称使用をしている友人・知人の戸籍上の氏名(名前)が通称と同じになったら、何か困ることがありますでしょうか。何もないはずです。

 法律婚をしたいが、氏は生来の氏でありたい、婚姻によって名前の一部である氏を変えたくない人が少数ながらいるのです。日本は法律婚をしないと子どもを産まない社会です。夫婦であることを法的にも認められたいという欲求を強く持つ社会です。

 ダイバーシティ&インクルージョンや国連のSDGs(1人も取り残さない)が標語の様に街に溢れています。これをダメだとかおかしいと言う人はいないでしょう。選択的夫婦別氏制を希求する少数者たちを「ダイバーシティ&インクルージョン」の精神でインクルージョンすることはできないでしょうか。自分と価値観の異なる人の価値観を自分の価値観に変えるのではなく、そのままで共存を認めるということです。易しくはないかもしれません。しかし、不可能ではないはずです。

 選択的夫婦別氏制の実現を希求する人の足を踏んでいるのは、選択制を認めないという自民党の一部議員のほかに、人々の無関心があります。足を踏まれている人たちの痛み、踏まれ続けていることの苦しさ、悲しさを想像したいと思います。

 裁判官たちが少数者の権利に無関心ならば、自民党がいつまでもこの問題を放置するのならば、裁判官の意識を、自民党の議員に、変わってもらうしかありません。

 選択的夫婦別氏制の実現は、私たちの社会が単一性から多様性を容認する社会に変わっていけるかどうか、という問題でもあると考えます。

 変えるべき時は今、です。大法廷決定前と同じく、やはりそう申し上げたいと思うのです。

以上

民法750 夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する。

憲法24 婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

憲法13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

憲法14条 すべて国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 

SDGs(持続可能な開発目標)【5 ジェンダー平等を実現しよう】

(2021.7.13 弁護士 石橋伸子記)

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