ニュースレターVol.9 タテカン撤去に思う(平田尚久)

タテカン撤去に思う

 私は京都大学の出身で、映画サークルの部長として、新入生歓迎や上映会の宣伝のために、立て看板いわゆる「タテカン」を製作していました。また、入学当時、大学の正門周辺に立ち並ぶタテカンを見て、自由の学風のエネルギーを感じ、胸が高まったことを覚えています。タテカンには、人の目や心を惹きつける魅力がありました。

 報道によると、京大は、京都市より大学外構周辺に設置されたタテカンが京都市屋外広告物条例(以下「条例」といいます。)に違反するとの行政指導を受け、平成29年12月に京都大学立看板規程を制定し、この規程に則ってタテカンの撤去を実施したようです。

 条例5条1項及び2項は、道路や擁壁(京都市屋外広告物条例施行規則5条4号)に広告物を表示することを原則として禁止しており、京大周辺にタテカンを立てかけることはこの規定に違反しています。しかし、他方で、タテカンは、公衆に対して自らの意見を表明することができる効果的な表現手段であり、この規制は憲法上の権利の侵害の可能性があります。京大周辺のタテカン設置が条例の文言に違反しているとしても、都市の美観風致の維持や周辺住民への危険防止といった、条例が保護しようとする価値と、タテカン設置を規制することによって制約される表現活動の価値とを比較して、後者が優越するという場合には、条例の規制を適用しないという判断もあり得るのです。判例では、集会の自由に対する規制に関するものですが、市民会館の使用を拒否するためには、人の生命・身体・財産が侵害される、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見される必要があると判断したものがあります(最高裁平成7年3月7日判決)。京大は、上記規程を設ける以前から、台風が接近した場合などにタテカンの撤去を実施していたようですが、これは人の生命・身体・財産に明らかな危険が差し迫った場合に限り、タテカンによる表現活動に制限をかけていたということができます。また、京都市がこれまでタテカンについて踏み込んだ措置を取らなかったということは、京都市もタテカンによる表現活動に配慮し、このような京大の対応を事実上認めていたものだと考えます。

 今回、京都市がタテカンの撤去を求め、京大がこれに応じた背景には、社会の変化に伴う価値のバランスの変化があると思います。一方で、インターネットの発達によって表現手法が多様化され、相対的にタテカンによる表現の重要性は低下しており、他方で、外国人観光客の誘致等の国策から歴史都市京都の景観保全の重要性は高まっています。また、周辺住民の危険防止についても、「何かあってからでは遅い」という感覚が強くなり、「もしかしたら倒れるかもしれない」といった、より抽象的な危険であってもこれを排除することへの要請が高まっています。こうした価値観の変化を考慮すれば、少なくとも大学周辺の路上におけるタテカン設置を規制することは、今日ではやむをえない措置といえるのではないかと考えます。

 私が感じた胸の高まりを消すことは問題ですが、これについて私は楽観的に考えています。これから入学する学生たちに、例えば、サークルのホームページでは、私の時代とは比べ物にならないクオリティの高いものが公開されていますし、TwitterやYouTubeでの情報発信も充実しています。その時代にあった表現方法により、自由の学風は受け継がれていくのだと思います。次の時代の「タテカン」の形を期待してその答えを待ちたいと思います。

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